韓国での『白凡逸志』
『白凡逸志』は、韓国で青少年の推薦図書に必ず入っている。単なる愛国心を植えつけるための本であるのならば、そうはなれない。何よりも青少年が備えるべき東洋の士人(学徳を兼ねた人)の真っ直ぐな気概、文化を咲かせる国になることを念願していた金九先生の志がこもっているからだ。それゆえ青少年たちには、自分自身の気骨ある生き方は何であるかを学び、自覚するために有益となるだろう。
金九先生は、何度も死を目の前にしたが、いつも平然としていて、危機的な瞬間に陥っても彼の判断は自分の生存のためではなく、周りの人たちに何かを与える選択によるものであった。それは、「木の枝をつかまって樹にあがるのは大したことではないが、崖にひっかかってもその手を放すのが真の男だ」という高能善先生の教えを一生心の中に抱いてきたからであろう。
この本には、国が滅びゆく時代に、貧しい平民として生まれた一個人が、東学革命、明成皇后弑逆事件、日韓倂合、臨時政府時代に自分の身を投じて生き抜いてきた歴史が書かれている。個人の記録である『白凡逸志』を通じて、大韓民国が日帝強占期下におかれても主体性を忘れることなく、多くの犠牲を冒(おか)して国の存在を主張してきたことが分かる。彼の主張は、苦しみの中にいる韓国人には、ひとすじの希望になったであろう。 そして、現代の韓国人には、独立は世界の歴史の中で幸運に恵まれ、無償で得たものではなく、多くの血を流し不断に努力して取り戻したものだという事実を知らしめる。さらに、国難に陥った時には、すすんで自分自身を守るべきだという意志をつちかう。最後に、金九先生が命を危険にさらして、民族の独立のために生きてきたように、独立後には、民族の統一のために命を差し出した志を韓国人は心に深く刻んで忘れてはならないと思う。
日本においての『白凡逸志』
日本人の立場からだと、金九先生はただ単にテロリストの指揮者として認識されているようだ。それで私が日本の出版社に出版の相談をするたびに断られたのかもしれない。金九先生は明成皇后弑逆事件に参加したと推定される浪人を殺したことを始め、大韓民国臨時政府時代には植民地政策を導いた日本の重要人物に対するテロを計画したりもしたのである。
それにも拘わらずこの本を日本に紹介しようとする理由は、日本が悪かったのだから金九先生のテロは正しかったと主張するためではない。それよりは、一朝にして自分の国と言葉を失った民族がどのような人生を貫いて生きてきたのか、そして、他国によって思いも寄らなかった苦しみを受けることになった民族がその現実をどうやって受け止め、どのように耐え忍んできたのか―その歴史的な事実を日本と共有し、正しく理解してもらいたいからである。そして、今を生きる日韓両国の人たちが、自国の歴史における混沌の時代について理解し合い、お互いの国を尊重し、話し合えるきっかけにしてほしいと願うからである。そうしてこそ、日韓の真の友情が芽生え、両国が共に人類愛を実践していけるようになると信じている。
日本人たけでなく、私の父のように日韓の狭間にいる大勢の在日同胞の子孫たちのアイデンティティーの確立にもこの本が、よい指針になることを願ってやまない。
日本の帝国主義下で呻く朝鮮人に対して、苦しみ悩んだ有島武郎は、內面の愛で他人を感化させて日韓間の平和を求めようと、痛切な日記を書いた。また、日本から追われる朝鮮人の同志たちを東京・品川駅で見送った中野重治(ナカノシゲハル)は、朝鮮総督が下した朝鮮人の笞刑執行時の遵守事項をみて苦悩した。そして、日本で強制的に徴用された朝鮮人と友情を築いてきた小野十三郎は、その気持を詩に表し、その詩を満田郁夫は韓国語で暗唱するために翻訳した。このように、日本人が当時の朝鮮を理解しようとした心こそ、日本と韓国を一歩ずつ近づけるものだと思う。
金九先生が 日帝強占期下の苦しみに満ちた激動の時代を生きて、ひたすら望んだことは大韓民国が文化を花咲かせて人類を美しく導いていく気品のある国になることであった。そういう意味で、日本も共に品位を保ち、未来へ進んでいこうという提案をする気持ちでこの父の翻訳本を出すのである。